大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 平成9年(少イ)20号 判決 1998年4月21日

被告人 Y(昭和38年○月○日生)

主文

被告人を懲役1年に処する。

未決勾留日数中120日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から3年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(認定した事実)

一  犯行に至る経緯

1  被告人は、福島県会津若松市に父A、母B子の長男として出生し、父の転勤に伴い岩手県、宮城県内の小、中、高校を終え2年間浪人した後、昭和59年に東京にあるa大学法学部に入学し、同年3月、神奈川県相模原市<以下省略>のワンルームマンション(以下、□□のアパートという。)を借りて居住し、大学4年次の終わる昭和63年3月ころまで住んでいた。

被告人は、当時仙台に居住していた両親から仕送りを受けたりアルバイトをしたりしながら2年間留年した後平成2年ころ大学を卒業し、その後、警備会社等に勤務したり辞めたりしていた。

2  C子は、昭和54年○月○日生、母D子の子として出生後まもなく施設に預けられ、2歳のころ子供に恵まれなかったE、F子(昭和20年○月○日生)夫婦に引き取られ、昭和56年2月養子縁組をした。その後Eは、借金を重ねた上F子と別れ家を出てしまったため、昭和60年ころからは、F子、C子の母子は、F子の両親が近所に住む東京都大田区<以下省略>所在のbアパートに住み、F子はC子を両親の下に預けて、既に家を出ていたEがc駅付近で開いた喫茶店で働くことにした。しかし、右喫茶店もEの資金繰りがつかなくなって閉店し、その後F子は別に就職口を探し、蕎麦屋の店員、ピザレストランの事務員等諸種の仕事をするようになった。

3  被告人は大学2年生(22歳)のころ、右喫茶店の客として出入りするうち当時40歳のF子と知り合い、被告人から相談事を持ちかけたり、F子が借金の取り立てで困っていることなどを話すうち親しくなり、被告人がF子のアパートに出入りして泊めてもらったり、F子が被告人の□□のアパートを訪れる程度の交際をしていたが、被告人が1度目の自殺未遂を起こしてからは、F子は被告人を□□のアパ一トにしばしば訪ねるようになった。そして、昭和62年9月ころ、F子は東京都大田区<以下省略>所在の六畳の居室と台所兼食堂からなるd荘○号室に引越し、被告人も留年することが決まった昭和63年2月ころ、F子と一緒に住みたいがためにその気を惹きたいとの思いで、2度目の自殺未遂を起こし、ようやく同年3月末ころ、右d荘○号室に引越してF子と同棲するようになった。F子は、パートの事務員として月約16、7万の収入を得ていたが、家賃が月約6万円、Eの借金について保証人となっていたところからその返済分として月約10万円を要し、F子は、被告人からアルバイト等で働いているときにはその半分を、働いていないときには、被告人の親からの仕送りの中から生活費の足しを受け取り、そのほかに被告人はC子の小遣い等を支出することになった。

被告人は、同棲して半年経過したころから、ささいな理由でF子と喧嘩するようになり、F子を平手や拳骨で殴ったり、缶詰の缶を投げつける等の暴力を振るうこともあった。

4  C子は、そのころ近所に住むF子の両親の下で主に寝泊まりしていたが、高校1年生になった平成6年ころからは、d荘○号室で、F子、被告人と一緒に寝泊まりして生活することになった。

ところで、被告人は、C子の中学1年生時ころから、着衣の上からC子の胸を触ったり唇にキスしたり、被告人の勃起した陰茎を出して触らせたりする等の性的いたずらをするようになり、激怒したF子から熱湯を掛けられるということもあったが、被告人はその後もC子に対する性的いたずらをやめず、C子が中学3年生ころになると、C子を押し倒し、胸を揉んだり着衣の上からあるいは直接に、その陰部を触るということがあった。

もっとも、C子も、そのころは被告人から勉強の面倒をみてもらったり、プレゼントを買ってもらったり、一緒にバイクや車でドライブに連れて行ってもらったり、テレビゲ一ムを一緒にするなどして被告人に遊んでもらったりしており、また、コインシャワーで被告人に身体を洗ってもらうこともあった。

その後、被告人のC子に対する性的いたずらはエスカレートしていき、C子が高校1年生になって一緒に暮らすようになってからは、被告人は、C子を押し倒して着衣を脱がせ、胸を揉んだり陰部を撫で回したり、性器に指を挿入したりすることもあった。C子は、腕力では到底かなわず、またこのような性的いたずらを拒否すると、被告人がいらいらして機嫌を損ねF子に八つ当たりして暴力を振るうことがあるところから、抵抗しきれなかった。すると、被告人は、C子が高校3年生の平成8年12月ころには、更に「やらせろ。」、「やらせてくれ。」などと、C子に性交を求めるようになった。

5  C子は、被告人から性的いたずらの被害を受けていることについて友人達に相談したり、高校3年生の平成8年夏ころ、実母のD子の存在をF子から教えられたことから、実母に会って家を出る相談をしたこともあるが、どうしても高校を卒業したかったことや、自分が家出をすることでF子が被告人から更に激しく暴力を振るわれることになるのではないか、と考えたこともあって、家出を思い止まっていた。

C子は高校3年生の平成8年12月ころ、同じ年の男子Gに好意を寄せ交際するようになった。

6  被告人は平成9年1月6日、C子を連れて2人で仙台の親もとに行き、被告人は父親に就職のことなど話したが、他方、C子の方は被告人の母親に対して、好きな男性がいて付き合っている旨を話した。この仙台行きの前後ころから、被告人の性的いたずらは度を増し、毎日のようにC子の性器を触り、「やらせろ。」などと性交を迫るようになり、全裸にされて、性交する寸前までいくこともあった。そのころ、C子は、1回性交に応じて被告人の性欲を満足させることによって、引き替えに被告人に家を出て行ってもらいたいと考えるようになり、「1回やらせればこの家から出て行ってくれるか。」と尋ねたところ、被告人は出て行く旨答えるものの、C子としては決心がつかず、暫くは被告人の性交の求めに応じなかった。

二  罪となるべき事実

被告人は、東京都大田区<以下省略>d荘○号室において、同棲するF子の愛人として養女C子(昭和54年○月○日生)の勉強をみてやったり躾けたりして同児童を養育してきたものであり、かねて同児童に対して性的欲望を抱き、同児童が18歳に満たないものであることを知りながら、性交を迫って拒否されるなどしていたところ、平成9年1月16日ころ、右d荘○号室において、風邪ぎみでパジャマ姿で横臥していたC子の布団にもぐり込み、同児童の身体に触るなどしていたが、同児童が被告人の行為を拒めば養母のF子が被告人から暴力を振るわれることなどを危惧して被告人にされるままになった末、真実被告人に家を出て行ってもらいたいと願っていた同児童が「1回やらせたら、この家から出て行ってくれる。」と被告人に確認を求めたのをいいことに、被告人は「出て行く。」旨約束して、同児童に自己との性交に応じることを承諾させ、よって、そのころ、右d荘○号室内において、同児童をして養母の同棲中の愛人である被告人を相手に性交させ、もって、児童に淫行をさせたものである。

三  犯行後の状況

被告人は、d荘から出て行くこともなく、その後もしばしばC子に迫って性交を繰り返したことから、C子は堪えきれず、高校卒業後の平成9年5月9日、被告人との関係を絶つべく家出をして、高校時代からの親友H子の家を頼って逃げたが、被告人が執拗にC子の居場所を追及したため、C子は実母D子に連れられて、福祉事務所、さらに東京都女性相談センターに移り、さらに被告人の追及が迫ったところから、別の施設に移り、被告人が逮捕された後の平成9年夏になってd荘に戻った。

(証拠の標目)(かっこ内の甲乙の番号は証拠等関係カードにおける検察官請求証拠の番号を示す。)

一  証人C子の当公判廷における供述及び同人の検察官調書(5通、甲5ないし7、9、10)

一  証人I子、同H子、同D子、同J、同B子の当公判廷における各供述

一  証人F子当公判廷における供述及び同人の検察官に対する供述調書(2通、甲14、15)

一  東京都大田区長作成の戸籍謄本(甲2)

一  警察官作成の写真撮影報告書(甲1、不同意部分を除く)、電話による聴取報告書(甲22)

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の検察官調書(4通、乙10ないし13)、警察官調書(9通、乙1ないし9)

(法令の適用)

被告人の判示行為は、児童福祉法60条1項、34条1項6号に該当する。そこで、所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期の範囲内で、被告人を懲役1年に処し、刑法21条を適用し、未決勾留日数中120日を右刑に算入し、情状により刑法25条1項を適用して、この裁判確定の日から3年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑訴法181条1項本文により被告人の負担とする。

(補足説明)

1  犯行日について

被告人は、C子と性交した日について、捜査段階においては、被告人とC子が仙台の被告人の両親のもとから帰って10日か15日後くらいのころである(警察官調書、乙4)とか、よく思い出すと性交できたのは、C子の誕生日前の1月中旬か下旬ころに間違いない(警察官調書、乙5)とか、2月上旬ころで、C子の誕生日前か後かはっきりしない(検察官調書、乙12)などと供述していたが、公判段階では、C子の誕生日後であることに間違いない、と述べており、その供述に変遷がみられる。また、C子は、最初に被告人との性交を試みたのは仙台から帰った平成9年1月8日ころから一週間ほどしてであり、そのときは痛くてやめてもらった、実際に膣内に陰茎が挿入されて完全に性交できたのは誕生日後であり、平成9年3月ころであると証言する。しかし、C子は、捜査段階においては、被告人と初めて性交したのは平成9年1月16日ころであるとして、その実際の経緯を具体的に詳述し、これが陰部の奥深くまで陰茎を挿入された初めての日で、出血した旨供述していた(検察官調書、甲5)のであって、この捜査段階の供述は、平成9年1月20日に高校主催のテーブルマナーの講習会場である品川のホテルに行く途中で、C子が「やられた。もう、これで誰とでもできる。」などと開き直った感じで告白するのを聞いた旨の友人I子の証言とも、また、同年2月10日に電話でのやりとりの中で、C子が暗い感じで「1月中旬ころやられた。」、「なんで、うちらだけ、こういうことになるんだろうね。」などと言い、泣いてしまった、そのときの様子と以前被告人にやられてしまうかもしれないとC子に聞いていたことから遂に被告人に性交させられてしまったものと理解した旨の友人H子の証言とも、実によく符合しているのである。また、F子も、C子と被告人との最初の性交があったのは平成9年2月である、と証言するものの、捜査段階では、平成9年1月ころ、被告人とC子との間でセックスがあったことを知った、セックスというのは、C子の性器に被告人の陰茎が挿入されたことである、旨述べていた(検察官調書、甲15)のである。そこで検討するのに、I子やH子は、供述するについて特段の利害関係のない純然たる第三者であるところ、捜査段階、公判段階を通じてその供述は一貫しており、反対尋問にも動揺することもないのであって、その供述は十分信用できるというべきである。これに対して、F子の場合、被告人との結びつきが強く、みずからも被告人に有利になるよう証言したり、再び家出から戻ってきたC子に対してもその旨働きかけているのではないか、と疑われるふしがあるのであって、F子、C子の供述については、公判段階における証言より、より事件に接着した時点で述べられ、I子、H子ら第三者の証言にも符合する捜査段階における前記各供述の方が、信用性において勝るといわざるを得ない。そこで、信用性の高い右各供述に依拠して、判示のとおり、犯行日を認定したものである。

2  被告人とF子の関係について

F子は、被告人との関係について、自分は被告人にとって母親のような存在で、被告人を異性として意識したことはなく、また、性交を迫られたことも迫ったこともない、と証言し、被告人も、F子と被告人との間に大人の関係は一切なかった(警察官調書、乙3)、被告人とF子は愛人関係ではない(検察官調書、乙11)などと供述し、当公判廷においても、被告人が父親に厳しい仕打ちを受け、母線のような存在を求めてF子と同居するに至ったものであって、F子との間に男女の関係は一切なかった旨、るる供述する。

しかし、F子の右の点に関する証言は、F子が「被告人の思い込みは、自分が相手にしなくなった2、3年前からC子に向けられるようになって、被告人はなにかとC子の機嫌をとるようにしていた。おそらく、被告人の思い入れが自分からC子に移って行った結果だと思う。」旨捜査段階において供述する(警察官調書、甲39)ところに背馳する自己矛盾の供述といわざるを得ず、F子の右証言は、これを額面どおりに信用することができない。

また、被告人がF子と男女の関係は一切なかったとして、るる供述するところも、関係証拠から認められる次の諸事実に照らして信用することができないのであって、却って、これらの事実を考え併せれば、被告人とF子とは、男女の関係、愛人関係にあったものと認めるのが相当である。

(1)  被告人がF子と知り合った当時は、被告人が22歳、F子が40歳のころであるところ、被告人は知り合って以来、鍵を渡しておいたり、わかりそうな場所に置いておき、互いのアパートを行き来した、被告人が1回目の自殺未遂を起こしたときには、被告人は夢の中でF子の手が伸びてきて助けられた、という思いであった、また、自分の方を中心に考えてほしいという思いや、一緒に住みたいと望んだが断られたのでF子の気を惹きたいという思いで、2回目の自殺騒ぎを起こし、結局F子のアパートに同居するに至った、などと同居に至るまでの被告人とF子との交流の状況について供述している。この状況からすれば、まさに2人は恋愛関係から発展して同居に至ったものとみられる。

(2)  被告人は、F子と同居する前でF子がbアパートに住んでいた当時、被告人が他の女性と性交しようとしてうまくいかなかったことについてF子に相談した際のこととして、F子から、その理由として被告人の陰茎が人並み外れて大きいことを指摘され、銭湯に行って他の男のものと比べてみたらどうか、とアドバイスされたことがあると供述する。このことは、当時、被告人とF子とが男女の関係になければ到底分からないような事実をF子が知っていたことを前提にして初めて理解できるものである。

(3)  被告人の実母であるB子は、被告人がF子と同居した当時、F子のことを「目が大きくて可愛い人なんだよ。」などと電話で説明していたが、被告人の付き合っていた他の女性については一切聞かされていないと証言する。このことは、当時の被告人のF子に対する傾倒ぶりを示すものである。

(4)  被告人とF子が同居を始めたのは、被告人が24歳、F子が43歳になったばかりのころであり、性欲も人並みにある被告人と、まだ女盛りで独り身のF子とが、このように惹かれあって同居を始めたものであり、しかも同居してほぼ6年間は、C子は主に近くに住むF子の両親のもとで寝泊まりしていたのであるから、その間被告人とF子の二人きりでd荘○号室に寝ることがほとんどであったとみられる。

(5)  C子は、被告人とF子と3人で寝ていた当時、寝ていた被告人の下着からはみ出した陰茎をF子と一緒に触ったり叩いたりしていじったことがある、と証言する。このようなことは、F子が被告人と男女の関係になければ通常はあり得ないことである。

(6)  被告人は、F子が人前で生理がどうこうといった話をしていたので喧嘩になったなどと、F子と夫婦喧嘩をしたように仙台の親に話したことがあるので、被告人の両親は被告人とF子を大人の関係にあるとみていることはわかっていたが、被告人は母親からそのような関係か否か尋ねられた際にも、これを否定しなかった旨供述する。このことは、被告人がF子と愛人関係にあることを自認していたことを示すものである。

(7)  C子も、公判段階の証言では否定するものの、捜査段階においては、「中学生のころは、被告人に暴力を振るわれながらも、逃げずに被告人と一緒に暮らし続けるF子をみて不思議に感じていたが、男と女の仲が分かるようになってからは、F子と被告人のセックスの場面を見てはいないが、被告人とF子と肉体関係があると感じた」旨供述(検察官調書、甲6)しており、この捜査段階における供述は、未だF子からの影響や働きかけが少ない間になされたものとして信用できる。

3  被告人とC子との関係について

関係証拠から、被告人がC子の中学1年生時から高校3年生時までの間、C子に種々の性的いたずらをしていることは明らかであるが、C子は性的ないたずらをされないように考えて、F子が帰宅するまで被告人と2人だけにならないよう、なるべくF子の両親の下にいるようにしたり、友人のI子、H子らに性的被害について相談したりしており、また、平成8年夏には実母D子にも相談しているのであって、C子が性的いたずらを被告人から受けながらも、本心ではこれを好ましくなく思い、嫌っていたことは明白である。

もっとも、C子は、公判段階になって、今思えば被告人のことが好きだったのだと思う旨証言している。しかし、捜査段階では、本当は被告人と行動することは楽しくなかったが、F子のことを考えて楽しそうにふるまっていたにすぎない、とも供述している(検察官調書、甲10)のであって、家出からd荘に戻ってF子の影響の下に供述したとみられる公判証言に比すれば、この捜査段階の供述に、より高度の信用性を認めざるを得ない。

少なくとも、C子の方から被告人との性的関係を好んで求めたというような状況はまったく窺えないのである。

4  被告人のC子に対する影響力について

判示のとおり、被告人はアルバイトでの収入、両親からの仕送りなどの中からF子に毎月支払っており、これが家計の支えになっていたこと、炊事、洗濯、買物等の家事をしたりC子の勉強をみてやったり、C子に躾をしたり、F子に対し暴力を振るったりして、養母の愛人として、またC子の実質上の義父として、様々な影響力をC子に対してもっていたことは、明らかであるところ、本件では、被告人は、C子に被告人との性交を容易ならしめこれを保進助長するべく、C子が1回被告人との性交に応じれば被告人は家を出て行くなどと偽りの約束を与えるようなこともしているのであって、被告人がC子に事実上の影響力を及ぼして被告人を相手に性交させたことが明らかである。

5  淫行について

児童福祉法34条1項6号にいう淫行とは、性道徳上非難に値する性交又はこれに準ずるような性交類似行為をいうものと解され、性道徳上非難に値するか否かは、結局、性交の動機目的、態様等を全体的に観察して、社会通念に照らしこれを決すべきものである。本件について、これをみるに、C子は、養母の愛人であり義父としての役割を果たして同棲中の被告人から、執拗に性交を求められ、遂にその性欲を満足させるべく、やむなく養母の同棲中の愛人である被告人を相手に、性交を行ったものであって、このような性交は、社会通念に照らし、性道徳上非難に値するものであり、淫行に該当するといわなければならない。

6  淫行の相手方が被告人である場合、児童福祉法34条1項6号の淫行させる行為に当たらないとの主張について

弁護人の主張はこのようなものであるが、児童福祉法34条1項6号は、児童の福祉保護を直接の目的とするもので、児童に対して事実上の影響力を行使してみずがら淫行の相手方として淫行をさせた者は、直接児童の福祉を阻害する者であり、規定の文言上も、淫行の相手方が除かれると考える根拠は見当たらない、といわなければならない。弁護人の所論は理由がない。

7  淫行させた場合に当たらないとの主張について

弁護人は、被告人はC子と兄妹のような関係にあったものであり、C子が成長するにつれてC子を一人の女性として愛するようになり、C子が高校3年生になるころには、養母のF子から結婚について承諾を得てC子と真剣に交際を始め、仙台の両親にも紹介して性交を行ったものであって、被告人からC子に対して事実上の影響力を及ぼして淫行するように働きかけ、淫行させたものではない、と主張する。

しかし、本件では、証拠上C子が被告人との性交を嫌っていたものであること、それ故、被告人がその事実上の影響力を及ぼして、自己を相手に淫行させたものであることは明らかである。弁護人の所論は理由がない。

8  淫行させる故意について

弁護人は、被告人は、愛情があって結婚しようとする女性でなければ性交などしないのであって、本件の性交も、被告人が事実上の影響力を及ぼして行わせる故意がなかったものである、と主張する。

しかし、被告人はC子が被告人との性交に拒否的態度を示しており、家を出て行ってくれるか、と確認を求められ、その旨偽りの約束をして、性交に応じさせていることが証拠上明らかなのであるから、被告人において、C子に淫行させる故意が認められることは明白である。弁護人の所論は理由がない。

(量刑の理由)

本件は、判示のとおり、被害児童の養母の愛人として約9年間、家計の一部を負担し、家事をしたり、児童に対して勉強の面倒をみたり躾をしたりするなどして義父としての役割をも果たし、家族の一員としてアパートの一室で暮らしてきた被告人が、児童に執拗に性的いたずらを続けてきた挙げ句、性交を迫り、児童をして同棲中の養母の愛人である被告人を相手に性交させ、もって児童に淫行をさせる行為に及んだという犯罪であり、児童に対する性的虐待であって、このような行為が、児童に多大な精神的苦痛を与え、児童の心身の健全な発達にとって極めて有害で深刻な影響を与え、児童の福祉を損なうこと甚だしいものであることはいうまでもない。被告人の刑事責任には軽視できないものがあるといわなければならない。

そこで、当裁判所は、以上のほか、被告人にはこれまで何らの前科もないこと、被害児童が積極的に被告人に対する処罰を望んではいないこと、証拠調べに多くの時間を要したことに起因するとはいえ、被告人がすでに相当期間の未決勾留を受けていること、その他の当公判廷に顕れた一切の情状をも総合考慮して、主文のとおり量刑した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田真一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例